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安壮富士清也

潮丸元康

皇司信秀

鶴竜力三郎
春日王克昌
春日錦孝嘉
片山伸次

北桜英敏

豪栄道豪太郎
光法賢一

里山浩作

十文字将康
駿傑悠志

大真鶴健司
高濱竜郎
豪風旭
玉飛鳥大輔
玉力道栄来

栃煌山雄一郎
栃栄篤史
豊桜俊昭
豊響隆太
鳥羽の山喜充

白露山佑太
把瑠都凱斗

武雄山喬義

寶智山幸観
豊真将紀行

嘉風雅継

龍皇昇
琉鵬政吉

[編集] 引退・廃業した力士

蒼樹山秀樹
安芸乃州賢二
阿久津川高一郎
朝嵐大三郎
淺瀬川健次
朝岡勲
朝乃翔嚆矢
朝乃若武彦
朝登俊光
旭里憲治
天城山猪太夫
天津風武藏
天ノ山静雄
綾錦久五郎
荒岐山正
嵐山次郎

一乃矢藤太郎
稲瀬川英治郎
巖虎寛一
岩波重廣

宇多川勝太郎
宇都宮新八郎

恵那櫻徹

追手山貢
扇山民雄
王湖伊津男
大碇剛
大江戸勇二
大江山枩太郎
大田山一朗
大鳴門太三郎
大ノ海敬士
大ノ海久光
大乃花武虎
大日ノ出崇揚
大若松好弘
大鷲平
岡ノ山喜郎
小城ノ花昭和
男嶌舟藏
鬼ヶ崎綱之助
鬼角長治郎
大蛇潟金作
大蛇潟大五朗
大蛇山酉之助

海山太郎 (大天龍)
魁罡功
鏡岩源之助
影虎和彦
鹿嶌洋起市
柏戸秀剛
春日富士晃大
春日森富三郎
和晃敏郎
和錦明敬
桂川質郎
神若順三
寒玉子爲治郎
巌雄謙治

北勝鬨準人
騏ノ嵐和敏
君錦利正
清惠波清隆
旭豪山和泰
清の盛政夫
清美川梅之
鬼雷砲良蔵
起利錦利郎
金開山龍

久島海啓太
國ノ濱源逸
鞍ヶ嶽盾右エ門

兼六山鉄太郎

港龍安啓
越ノ海東治郎
五城楼勝洋
琴ヶ嶽綱一
琴千歳幸征
琴椿克之
琴別府要平
琴龍宏央
琴若央雄
小沼克行
小枩山与三松
小枩山貞造
駒不動大助

斎須稔
蔵玉錦敏正
佐賀昇博
薩洲洋康貴
佐渡嶽沢右エ門

敷島勝盛
嗣子鵬慶昌
嶌田川儀兵衞
白梅文治郎
白田山秀敏
白真弓肥太右エ門
神幸勝紀

戦闘竜扁利

大輝煌正人
大旺吉伸
大觥吉男
大豪健嗣
大至伸行
大飛進
大飛翔誠志
大翔山直樹
大雪嶺登
大雄辰實
大竜川一男
高砂浦五郎
隆の鶴伸一
貴ノ嶺明彦
太刀ノ海波右エ門
大刀光電右エ門
太刀若峯五郎
立田野邦清
立洸熊五郎
谷嵐久
玉碇佐太郎
玉海力剛

竹葉山真邦

常の山勝正
常ノ山勝正

照櫻弘行
出羽嵐大輔
出羽ノ花國市
天水山正則
天龍源一郎

十勝岩豊
時津海正博
時津洋宏典
時葉山敏夫
土州山役太郎
栃勇義治
栃王山裕規
栃剣展秀
栃乃藤達之
栃富士勝健
栃纒勇光
友ノ浦喬次
豊ノ海真二
豊登道春

鳴門海一行
南海龍太郎

錦洋幸治

白竜山憲史
蜂矢敏行
服部祐兒
花ノ国明宏
花光節夫
春ノ山竜尚

肥後ノ海直哉
日立龍栄一
飛騨乃花成栄

藤田山忠義
富士乃真司
双ツ龍徳義
双見山一夫

星岩涛祐二
星甲實義
星甲昌男

前ヶ潮春夫
牧本英輔

三杉磯拓也
禊鳳英二
湊川四良兵衞
湊富士孝行
宮柱義雄

大和剛

司大
義ノ花成典
芳野嶺元志

力櫻猛
琉王優貴
龍興山一人
凌駕精考

若光翔大平
若左倉与吉
若杉山豊一
若瀬川剛充
若孜浩気
若天龍祐三
若兎馬裕三
若鳴門清海
若ノ海正照
若ノ國豪夫
若ノ城宗彦
若の富士昭一
若吉葉重幸

[編集] 十枚目(十両)
最高位が十枚目である力士。


[編集] 現役力士

一の谷崇帥
市原孝行

上林義之

北太樹明義
旭南海丈一郎

光龍忠晴
琴春日桂吾
琴乃峰篤実

境澤賢一
磋牙司洋之

白乃波寿洋

大翔山豪志
大雷童太郎
玉光国喜太郎

千代白鵬大樹

出羽鳳太一
出羽の郷秀之
出羽乃富士智瑛

時双津大地
栃天晃正嵩
栃不動周二

白馬毅

武州山隆士
古市貞秀

北勝岩治
保志光信一

将司正

猛虎浪栄

柳川信行

芳東洋

雷光肇

若麒麟真一
若天狼啓介
若ノ鵬寿則

[編集] 引退・廃業した力士

赤城山晃
安芸の嶺良信
朝太田誠
嵐立磨
荒浪源四郎

維新力浩司
一錦周之助
市ノ渡三四四
岩手富士祐一

梅乃里昭二
雲仙山尚敏

皇牙篤
大石田謙治
大鷹雅規
大日岳栄隆
大富士慶二
大倭東洋

凱皇仁
魁道康弘
鶴嶺山宝一
鹿嶌嵜健太郎
金親和行

清乃洋文幸
清の富士猛
清美岳太

国東始
熊翁博

玄海桃太郎
剣岳寛
玄武満

剛堅大二朗
五剣山博之
琴嵐佳史
琴岩国武士
琴冠佑源正
琴立山兼滋
琴白山俊也

彩豪一義
佐賀ノ海輝一
佐ノ藤清彦
山陽山淺一

四季の花範雄
重ノ海博久
壽山勝昭
白岩政寿

須佐の湖善誉
砂浜正二
須磨ノ富士茂雄

清王洋好造
盛風力秀彦
関の花勉
泉州山久義
泉州山喜裕
前進山良太

大岳宗正
大喜進
大車輪松五郎
太晨光真
大殿英武
大竜忠博
高見藤英希
卓越山吾郎
立富士祐司
玉風福太郎
玉麒麟安正

千代の若秀則
鳥海龍秀俊

常正
常の山日出男

出羽平真一
出羽の邦真光
出羽の洲聖
天凰山豊
天剛山隆清

栃泉隆幸
栃ノ華朝王
富風悟
豊ノ花光義

七尾潟直右エ門

能登ノ山龍三

羽咋山勝久
魄龍弘
花嵐一美
花筏健
花ノ藤昭三
榛名富士新司

秀ノ海渡累
日出ノ国太子郎
秀ノ花宗市
秀ノ花行秀
桧山剛志

福薗洋一郎
福ノ里邦男
福龍岳茂生
双筑波勇人

北勝光康仁
星安出寿保世
星誕期偉真智

舞風昌宏
松山佳弘

陸奥北海勝昭
武哲山剛

森ノ里信義
森乃里治重

山中山和洋
山錦喜章

豊富士修

芳昇幸司

龍ヶ浜広宣
龍授山正男
隆濤剛
輪鵬和久

若東吉信
若筑波茂
若闘将敏男
若東龍秀史
若隼人幸治




[編集] 幕下以下
最高位が幕下以下である力士。


[編集] 現役力士

秋乃峰將司
朝陽丸勝人
荒海昇太
阿覧欧虎

勢翔太
一ノ矢充

恵那司千浩

大露羅満

魁将龍邦昭
魁聖一郎
華王錦武志
臥牙丸太郎
加賀谷祐一
唐津海誠二

箕應山朋恭
希帆ノ海勇樹
木村山守
輝面龍政樹
旭天山武
旭光誓一
霧の若太郎

琴禮巨樹
駒光和也

薩摩力一真

島和也
下田圭将
駿馬秀二
新錦一弘

杉田喜章

蒼国来栄吉

大翔馬和侍
大翔勇真亜敏
拓錦広之
武甲一輝
竹十葉卓利
玉大輝毅

寺下隆浩
照瀬川邦昭

時大竜正和
瀬川正直
土佐豊祐哉
栃ノ心剛
栃の山博士
栃飛龍幸也

中野一成
仲の国将

能登ノ波毅

吐合明文
早瀬川修一

光風勤勝
久之海太陽

福永剛

北勝城勲

前田勝
舛光理貢司
舛名大周一
松谷裕也
松緑哲也

三瀬功太
南乃島勇

森友樹

八木ヶ谷匡也
山本山龍太

弓の里宗広

吉村景太
四ツ車大八

李大源

若倉持広昭
若三梅雅裕
若三藤成豊

[編集] 引退・廃業した力士

安芸旭雅士
朝拓也太郎
旭弁天崇弘
網走洋一男
朝鷲透
荒竹寅吉
荒谷信孝

上田山裕司

永源遙
越錦正志

木の村政雄

琴市場孝之
琴天山俊光

祥映斗宏務

正剛山正夫

綱の富士裕二郎

浪速嘉則

羽黒海憲司

火の竜清徳

藤井達樹
藤乃山友和

北勝森文仁

三杉豊高暁

武蔵富士敏
陸奥龍明

和歌桜康幸
若清城聡
若森正英
鷲尾嶽米太郎
初代 明石志賀之助(あかし しがのすけ)
2代 綾川五郎次(あやがわ ごろうじ)
3代 丸山権太左衛門(まるやま ごんだざえもん)
4代 谷風梶之助(たにかぜ かじのすけ、1789年11月 - 1794年11月×)
5代 小野川喜三郎(おのがわ きさぶろう、1789年11月 - 1798年10月)
6代 阿武松緑之助(おうのまつ みどりのすけ、1828年2月 - 1835年10月)
7代 稲妻雷五郎(いなづま らいごろう、1829年9月 - 1839年11月)*1828年7月に五条家免許
8代 不知火諾右エ門(しらぬい だくえもん、1840年11月 - 1844年1月)
9代 秀ノ山雷五郎(ひでのやま らいごろう、1847年9月 - 1850年3月)
10代 雲龍久吉(うんりゅう きゅうきち、1861年9月 - 1865年2月)
11代 不知火光右衛門(しらぬい こうえもん、1863年10月 - 1869年11月)
12代 陣幕久五郎(じんまく きゅうごろう、1863年10月)*1863年1月に五条家免許
13代 鬼面山谷五郎(きめんざん たにごろう、1869年2月 - 1870年11月)
14代 境川浪右エ門(さかいがわ なみえもん、1877年2月 - 1881年1月)*1876年2月に五条家免許
15代 梅ヶ谷藤太郎(うめがたに とうたろう、初代、1884年2月 - 1885年5月)*五条家と吉田司家から同時免許
16代 西ノ海嘉治郎(にしのうみ かじろう、初代、1890年5月 - 1896年1月)
17代 小錦八十吉(こにしき やそきち、1898年5月 - 1901年1月)
18代 大砲万右エ門(おおづつ まんえもん、1901年5月 - 1908年1月)
19代 常陸山谷右エ門(ひたちやま たにえもん、1903年6月 - 1914年5月)
20代 梅ヶ谷藤太郎(うめがたに とうたろう、2代、1903年6月 - 1915年6月)
21代 若嶌權四郎(わかしま ごんしろう、1903年1月☆ - 1907年1月)
22代 太刀山峯右エ門○(たちやま みねえもん、1910年6月 - 1917年1月)
23代 大木戸森右エ門(おおきど もりえもん、1913年1月☆ - 1914年1月)*1910年大阪相撲が独断で横綱免許
24代 鳳谷五郎(おおとり たにごろう、1914年6月 - 1919年5月)
25代 西ノ海嘉治郎(にしのうみ かじろう、2代、1915年5月 - 1917年5月)
26代 大錦卯一郎(おおにしき ういちろう、1916年5月 - 1922年1月)
27代 栃木山守也(とちぎやま もりや、1918年2月 - 1925年5月)
28代 大錦大五郎(おおにしき だいごろう、1918年5月☆ - 1923年1月)
29代 宮城山福松(みやぎやま ふくまつ、1922年2月☆ - 1931年3月)
30代 西ノ海嘉治郎(にしのうみ かじろう、3代、1922年5月 - 1928年10月)
31代 常ノ花寛市(つねのはな かんいち、1924年1月 - 1930年10月)
32代 玉錦三右エ門(たまにしき さんえもん、1933年1月 - 1938年5月×)
33代 武藏山武(むさしやま たけし、1936年1月 - 1939年5月)
34代 男女ノ川登三(みなのがわ とうぞう、1937年1月 - 1942年1月)
35代 双葉山定次(ふたばやま さだじ、1938年1月 - 1945年11月)
36代 羽黒山政司○(はぐろやま まさじ、1942年1月 - 1953年9月)
37代 安藝ノ海節男(あきのうみ せつお、1943年1月 - 1946年11月)
38代 照國万藏(てるくに まんぞう、1943年1月 - 1953年1月)
39代 前田山英五郎(まえだやま えいごろう、1947年11月 - 1949年10月)
40代 東富士欽壹(あずまふじ きんいち、1949年1月 - 1954年9月)
41代 千代の山雅信(ちよのやま まさのぶ、1951年9月 - 1959年1月)
42代 鏡里喜代治(かがみさと きよじ、1953年3月 - 1958年1月)
43代 吉葉山潤之輔○(よしばやま じゅんのすけ、1954年3月 - 1958年1月)
44代 栃錦清隆(とちにしき きよたか、1955年1月 - 1960年5月)
45代 若乃花幹士(わかのはな かんじ、初代、1958年3月 - 1962年3月△)
46代 朝潮太郎(あさしお たろう、3代、1959年5月 - 1962年1月)
47代 柏戸剛(かしわど つよし、1961年11月 - 1969年7月)
48代 大鵬幸喜(たいほう こうき、1961年11月 - 1971年5月)
49代 栃ノ海晃嘉(とちのうみ てるよし、1964年3月 - 1966年11月)
50代 佐田の山晋松(さだのやま しんまつ、1965年3月 - 1968年3月)
51代 玉の海正洋○(たまのうみ まさひろ、1970年3月 - 1971年9月×)
52代 北の富士勝昭(きたのふじ かつあき、1970年3月 - 1974年7月)
53代 琴櫻傑將○(ことざくら まさかつ、1973年3月 - 1974年5月△)
54代 輪島大士(わじま ひろし、1973年7月 - 1981年3月)
55代 北の湖敏満(きたのうみ としみつ、1974年9月 - 1985年1月)
56代 若乃花幹士(わかのはな かんじ、2代、1978年7月 - 1983年1月)
57代 三重ノ海剛司(みえのうみ つよし、1979年9月 - 1980年11月)
58代 千代の富士貢(ちよのふじ みつぐ、1981年9月 - 1991年5月)
59代 隆の里俊英○(たかのさと としひで、1983年7月 - 1986年1月)
60代 双羽黒光司○(ふたはぐろ こうじ、1986年9月 - 1987年11月△)
61代 北勝海信芳(ほくとうみ のぶよし、1987年7月 - 1992年3月△)
62代 大乃国康(おおのくに やすし、1987年11月 - 1991年7月)
63代 旭富士正也○(あさひふじ せいや、1990年9月 - 1992年1月)
64代 曙太郎(あけぼの たろう、1993年3月 - 2001年1月)
65代 貴乃花光司(たかのはな こうじ、1995年1月 - 2003年1月)
66代 若乃花勝○(わかのはな まさる、1998年7月 - 2000年3月)
67代 武蔵丸光洋(むさしまる こうよう、1999年7月 - 2003年11月)
68代 朝青龍明徳(あさしょうりゅう あきのり、2003年3月 - )
69代 白鵬翔○(はくほう しょう、2007年7月 -)

魁皇博之
琴欧洲勝紀
琴光喜啓司
千代大海龍二
出島武春▼
雅山哲士▼

[編集] 引退した力士

秋津風音右エ門
朝汐太郎 (初代) 明治時代
朝潮太郎 (2代) 大正時代
朝潮太郎 (4代) 昭和時代
旭國斗雄 昭和時代
朝日嶽鶴之助▼
綾瀬川山左エ門
荒岩亀之助 明治時代
荒砂時右エ門
荒瀧五太夫▼
荒見崎浦右エ門▼
有馬山龍右エ門
淡路嶋岡右エ門

猪王山森右エ門▼
生駒山善太夫
伊勢ノ濱慶太郎 大正時代
市野上浅右エ門
一ノ矢藤太郎 明治時代
五ツ嶌名良男▼ 昭和時代
稲妻咲右エ門
今雲灘右エ門
岩根山浪右エ門

繪嶋潟灘右エ門▼
惠蘓嶽峰右エ門
恵比ヶ嶽峰右エ門

大筏岸右エ門
大碇紋太郎 明治時代
大内山平吉▼ 昭和時代
大木戸源太夫
大木戸森之助▼
大嶋浦右衞門
大嶋庄太夫
大瀧森右エ門
大達羽左エ門 明治時代
大綱為右エ門▼
大童子峰右エ門▼
大戸平廣吉▼ 明治時代
鳳谷五郎
大灘礒右エ門
大鳴門灘右エ門 明治時代
大鳴戸淀右エ門
大ノ里萬助 大正時代
大岬丈右衛門○
大湊梶右エ門▼
大矢嶋新左エ門
大山澤右エ門
大渡三太夫
沖津風礒右エ門▼
追手風喜太郎▼
小野ヶ滝定右エ門▼

階ヶ嶽龍右エ門
魁傑將晃● 昭和時代
鏡岩善四郎 昭和時代
鏡山沖野右エ門
柏戸宗五郎 (初代)
柏戸利助
春日山段右エ門

木曽嶽和田右エ門
北葉山英俊 昭和時代
木幡山森之助▼
鬼面山与一右エ門▼
九州山十郎▼ 大正時代
清國勝雄 昭和時代
霧島一博▼ 平成時代

國見崎丈太夫
國見山悦吉 明治時代
九紋龍清吉▼
黒雲丈左衞門
源氏森繁右エ門
源氏山吉太夫▼

御所浦礒右衞門▼
琴風豪規▼ 昭和時代
琴ヶ貞雄 昭和時代
小柳常吉
小錦八十吉 (3代)▼ 昭和時代
駒ヶ嶽國力 明治時代

境川浪右エ門
佐賀ノ花勝巳▼ 昭和時代

汐ノ海運右エ門● 昭和時代
鹽見波浦右エ門
四海波國右エ門
錣嶽岡右エ門
志津嶽堅太夫▼
清水川元吉 昭和時代
釋迦嶽雲右エ門
白川志賀右エ門▼
白川関右エ門▼
白瀧沢右エ門
不知火光右エ門▼
陣幕嶋之助●

須磨関浪右エ門

千田川熊藏▼

象ヶ鼻平助 明治時代

大海嶋右エ門▼
大麒麟將能 昭和時代
大受久晃▼ 昭和時代
鷹ノ海灘右エ門▼
貴ノ浪貞博● 平成時代
貴ノ花健士 昭和時代
太刀光電右エ門▼ 大正時代
楯ヶ崎峰右エ門
楯山久三郎 明治時代
玉垣額之助 (初代)
玉垣額之助 (2代)

千葉ヶ嵜俊治▼ 大正時代

築紫潟増右エ門
對馬洋弥吉 大正時代
劔山谷右エ門 (初代)
劔山谷右エ門 (2代) 明治時代
渡岡右エ門

手柄山繁右エ門▼
鉄石城五郎▼
伝地関灘右エ門

栃東大裕◎ 平成時代
栃光正之 昭和時代
砥並山礒右エ門
友碇栄太夫
豊國福馬 昭和時代
鳳ヶ嶽関之助

名寄岩静男● 昭和時代

二王堂門太夫
虹ヶ嶽杣右エ門▼
錦木塚右エ門▼
二所ヶ瀧軍太夫

布ヶ瀧渕右エ門

能代潟錦作● 昭和時代
能登山瀧右エ門

緋縅力弥▼
緋威力彌▼
常陸岩英太郎 昭和時代
平石七太夫 (初代)
平石七太夫 (2代)○
比良ヶ嶽志賀右エ門▼
鰭ヶ崎清太夫
廣我崎里右エ門

吹帰寅右エ門
冨士嶽吉太夫○
二荒山瀧右エ門
不動堂岡右衞門

鳳凰馬五郎▼ 明治時代
北天佑勝彦 昭和時代

前の山太郎▼ 昭和時代
鉞音五郎○
増位山大志郎 昭和時代
増位山太志郎 昭和時代
松登晟郎▼ 昭和時代

三國川瀬左衞門
三根山隆司▼ 昭和時代
都嶋濱右衞門
都山織右衞門

武双山正士○ 平成時代

八ッヶ隅市太夫▼
八幡山定吉 明治時代
山姿雲八

雪見山堅太夫 現存する江戸相撲番付最古の大関
豊山勝男 昭和時代、前・日本相撲協会理事長
百合瀧政右エ門

四賀峰東吉

雷電震右エ門 明治時代
雷電爲右エ門

龍ヶ洞谷之助

若嶋津六夫 昭和時代
若羽黒朋明▼ 昭和時代
鷲ヶ濱音右エ門
鷲ヶ渕荒右エ門●
鷲ヶ峰滝右エ門▼
廣原海浪右エ門
朝赤龍太郎
安馬公平
安美錦竜児

旭天鵬勝

琴奨菊和弘

玉春日良二
玉乃島新

土佐ノ海敏生
栃乃洋泰一

北勝力英樹

若の里忍

[編集] 引退・廃業した力士

相生枩五郎
青ノ里盛
青葉城幸雄
安芸乃島勝巳
旭川幸之
東関庄助
綾櫻由太郎
綾浪源鋭
綾浪徳太郎
綾昇竹藏
荒馬大五郎
荒勢永英
安念山治

岩風角太郎

大潮清治郎
大潮又吉
巨砲丈士
沖ツ海福雄
小城ノ花正昭

魁輝薫秀
海乃山勇
開隆山勘之亟
笠置山勝一
金城興福
神風正一

北瀬海弘光
北の洋昇
清瀬川敬之助
麒麟児和春

雲井川弁太夫
蔵間竜也
黒岩森之助
黒姫山秀男

高津山芳信
高鐵山孝之進
高望山大造
琴ヶ梅剛史
琴錦功宗
琴ノ若晴將
琴富士孝也
金剛正裕

逆鉾伸重
逆鉾与治郎
相模川佶延

信夫山治貞
新海幸藏

大邱山高祥
太寿山忠明
貴闘力忠茂
高登渉
隆乃若勇紀
高見山大五郎
高見山酉之助
多賀竜昇司
玉椿憲太郎
玉ノ海梅吉
玉乃海太三郎
玉ノ富士茂

鶴ヶ嶺昭男

寺尾常史
輝昇勝彦
出羽ヶ嶽文治郎
出羽錦忠雄
出羽の花義貴
出羽湊利吉
天竜三郎

闘竜賢二
時津山仁一
栃赤城雅男
栃東知頼
栃司哲史
栃乃和歌清隆
豊嶌雅男

浪ノ音健藏

羽黒花統司
羽島山昌乃武
幡瀬川邦七郎
長谷川勝敏
追風海英飛人
磐石熊太郎

肥州山栄
備州山大八郎
響舛市太郎

福の花孝一
福伊三郎
房錦勝比古
富士櫻栄守
藤ノ川武雄
二瀬川政一
不動岩三男

鳳凰倶往

前田川克郎
舛田山靖仁
益荒雄広生

三磯善七
水戸泉政人
明武谷力伸

陸奥嵐幸雄

山錦善治郎

雷電爲五郎

力道山光浩
両國梶之助
両國梶之助 (瓊ノ浦)
両國勇治郎

若翔洋俊一
若秩父高明
若葉山鐘
若前田英一朗
若湊祐三郎
若見山幸司
若三杉彰晃
鷲羽山佳和
岩木山竜太

海鵬涼至
垣添徹

稀勢の里寛

黒海太

霜鳳典雄

高見盛精彦

千代天山大八郎

時天空慶晃
栃乃花仁
豊ノ島大樹

普天王水

露鵬幸生

[編集] 引退・廃業した力士

青葉山弘年
旭豊勝照

板井圭介
五ツ海義男
射水川健太郎

大潮憲司
大錦充周
小城錦康年
大晃定行
大豊昌央
鬼ヶ谷才治
大ノ川甚太郎

鏡岩濱之助

九州山義雄
旭鷲山昇
旭道山和泰

國登國生
黒瀬川國行

剣晃敏志

琴稲妻佳弘
琴錦登
小錦八十吉

櫻錦守弘
佐田の海鴻嗣
沢光幸夫

潮錦義秋
四海波太郎
東雲衑藏
清水川明於
陣岳隆

関ノ戸澤右エ門

大翔鳳昌巳
大善尊太
大徹忠晃
孝乃富士忠雄
隆三杉太一
玉輝山正則
玉龍大蔵

闘牙進
時錦恒則
巴潟誠一
巴富士俊英
智乃花伸哉
豊國範

浪乃花教天
成山明

羽黒岩智一
花乃湖健
濱ノ嶋啓志
播竜山孝晴

廣川泰三

富士錦猛光
二子岳武
双津竜順一

舞の海秀平
前乃臻康夫
枩浦潟達也
真鶴秀五郎

三杉里公似
緑嶌友之助
宮城山正見

紅葉川考市

豊山広光

龍虎勢朋
両國梶之助
両国梶之助

和歌嶌三郎
若獅子茂憲
若瀬川泰二
若浪順
若ノ海正照
和歌乃山洋
若葉山貞雄
若二瀬唯之
若湊義正
時津海 正博(ときつうみ まさひろ、1973年11月8日 - )は、長崎県福江市(現在の五島市)の出身で時津風部屋所属の元大相撲力士。本名は坂本 正博(さかもと まさひろ)。東京農業大学卒業。最高位は東前頭3枚目(2001年11月場所)。身長183cm、体重133kg。得意技は右四つ・寄り。趣味は釣り。現年寄時津風。


[編集] 来歴
この節には、現在進行中のことを扱っている文章が含まれています。性急な編集をせず事実を確認の上投稿してください。
農家の二男に生まれ、父の影響で2・3歳位の時から宮相撲に出場した。小学校では野球、中学校では柔道をやっていたが、部員が足りず休部状態に陥っていた相撲部を再興し、自宅の倉庫を稽古場に改造し、相撲を続けた。長崎県立諫早農業高等学校では相撲に専念し、東京農業大学でも活躍した。しかし、4年生の時は企業に就職しようと考え、印刷会社の試験に合格し、また父からアマチュア相撲の強豪である和歌山県庁への就職も勧められたが、アマチュアよりプロで取るほうがいいと言う本人の意志で時津風部屋に入門した。

1998年9月場所新入幕。以降2005年5月場所まで41場所連続で幕内の地位を維持し続けたが、2005年5月場所は西前頭12枚目で3勝12敗と大負けし、翌7月場所は1998年7月場所以来、42場所ぶりに十両に陥落した。その場所は西十両3枚目で11勝4敗で2回目の十両優勝を果たし、1場所で幕内に戻ってきたが、翌9月場所は西前頭14枚目で4勝11敗と負け越し、再び十両に陥落した。

翌11月場所は西十両3枚目で9勝(6敗)し、三度幕内の舞台へ戻ってきた。十両と幕内を往復する生活が続いていたが、2006年1月場所は西前頭14枚目で12勝3敗と大勝し、4回目の技能賞を獲得した。また、14日目に関脇・白鵬に敗れるまでは、優勝争いに加わっていた。しかし、西前頭5枚目に一気に番付を上げた翌3月場所はまるで人が変わったように負けが込み2勝13敗に終わった。

翌5月場所は、怪我で休場し、7日目から途中出場したものの、まったく振るわず、2勝9敗4休で翌7月場所東十両9枚目に陥落した。同年11月場所、東十両4枚目で10勝5敗とし、2007年1月場所では半年振りに幕内に返り咲いて、8勝7敗とした。また3月場所でも千秋楽に8勝目を挙げて勝ち越し、5月場所は番付運もよく東前頭6枚目と番付を2006年3月場所以来の前頭一桁台に上げたがその場所は大きく負け越し、再び幕内下位の番付になった。このように下位で勝ち越して中位に上がると、負け越し、また下位に戻るといった、いわばエレベーター力士という感じであった。

現役時代の時津海はしばしば「相撲巧者」として紹介された。右四つでの寄りが持ち味。左上手を取れれば出し投げ、捻りもあり、特に強かった。また、廻しを切る技術も秀逸だった。更には差し手を殺すのも上手く、逆四つの相手でも勝つ事が出来るというところがあったが、しかし組めないと脆く、突き押し相撲相手では歯が立たなかった。そうしたムラの多い、安定性のない相撲が彼にとって災いしたとも言えよう。

その為、時津風部屋の幕内経験者力士4人(時津海、霜鳳、時天空、豊ノ島)の中で、時津海だけが唯一三役昇進経験がないままに終わった。

2007年10月、同年6月に発生した17歳の新弟子集団リンチ死亡事件を受け、日本相撲協会より解雇された師匠で15代時津風親方の後継として部屋を継承するために急遽現役引退することが報じられた[1]。

2007年10月9日、日本相撲協会に引退届および年寄時津風襲名届を提出した。時津海自身は「まだ燃え尽きていない」と現役への拘りがあったが、今回の新弟子死亡事件からの出直しを図るため、14代時津風(豊山勝男)を始めとする関係者の説得を受け入れ、16代目時津風となり、部屋の師匠として名門復活に全力を注ぐこととなった[2]。

また時津海が時津風を襲名するにあたり、自身が取得していた年寄・錦島株を弟弟子の霜鳳に譲った。
時津風部屋(ときつかぜべや)は、大相撲の相撲部屋の一つ。霜鳳、時津海、時天空などの東京農業大学出身の幕内経験力士が多数を占めている。

概要
昭和17年、当時まだ現役の横綱双葉山定次により双葉山相撲道場として設立される。この際に元大関鏡岩善四郎の粂川親方が部屋をそっくり譲り他の部屋も多くが傘下に入った。双葉山の引退後年寄時津風の襲名とともに時津風部屋と改名し粂川部屋から譲り受けた鏡里喜代治が横綱に、現役時代からの弟子大内山平吉が大関になった。後に北葉山英俊、豊山勝男といった大関も育てた。

昭和43年、双葉山の死後元鏡里の立田川親方が一時的に時津風を襲名するが後継者に豊山を指名していたとの遺言の存在が明らかになり、鏡里は立田川に戻り立田山(大内山)などの親方だけを連れ弟子を1人も連れずに独立し昭和46年に立田川部屋を興した。

豊山勝男の継承後、関脇蔵間竜也、小結豊山広光・大潮憲司・双津竜順一・大豊昌央・霜鳥典雄、平幕時津洋宏典・蒼樹山秀樹・時津海正博などの幕内力士を輩出している。

豊山の時津風定年後は、元小結の双津竜が部屋を継承している。弟子に「時(津)」や「豊」、「双」を含む四股名をつけることが多い。

先代の母校である東京農業大学相撲部は時津風部屋でも稽古を行うことがあるため、卒業後角界入りする者はほとんどと言って良い程、時津風部屋に入門している。実際に豊ノ島以外の現役3関取は東京農大の出身である。

現在でも右横書きで書かれた双葉山相撲道場の看板がかかげられている。

2007年、以下の序ノ口力士集団暴行致死事件を発生させ、時津風親方立件へと前代未聞の事態となっている。


時津風親方
時津風部屋創設後
12代:時津風 定次(元横綱双葉山定次・大分)
13代:時津風 喜代治(元横綱鏡里喜代治・青森)
14代:時津風 勝男(元大関豊山勝男・新潟)
15代:時津風 順一(元小結双津竜順一・北海道)

現役の幕内経験力士
霜鳳典雄
時津海正博
時天空慶晃
豊ノ島大樹

横綱・大関
横綱
鏡里喜代治(42代・青森)粂川より
大関
大内山平吉(茨城)
北葉山英俊(北海道)
豊山勝男(新潟)

幕内
関脇
不動岩三男(熊本)粂川より
青ノ里盛(青森)
蔵間龍也(滋賀)
小結
若葉山貞雄(埼玉)
潮錦義秋(熊本)荒汐より
時錦恒則(福岡)
豊國範(大分)
沢光幸男(北海道)
豊山広光(新潟)
大潮憲司(福岡)
双津竜順一(北海道)
大豊昌央(新潟)
霜鳥典雄(新潟)
時天空慶晃(モンゴル)
豊ノ島大樹(高知)
平幕
双ッ龍徳義(北海道)
扇山民雄(宮城)
若杉山豊一(福岡)
時葉山敏夫(石川)
牧本英輔(熊本)
丸山孝彦(福岡)
天ノ山静雄(佐賀)
谷嵐久(大分)
蒼樹山秀樹(滋賀)
時津洋宏典(徳島)
時津海正博(長崎)

所属年寄
枝川 秀樹(えだがわ)元前頭筆頭・蒼樹山
錦島 敏正(にしきじま)元前頭筆頭・蔵玉錦 鏡山より

旧時津風部屋
双葉山が襲名する以前の時津風は、大坂相撲の名跡だった。東西合併のときには小九紋龍が親方で、部屋を経営していた。昭和10年で一度部屋を閉じ、粂川に弟子を譲渡。この時の弟子に十両の九紋龍政五郎、谷ノ音谷五郎がいた。昭和13年にふたたび部屋をおこしたが、昭和16年限りで部屋を閉じ、立浪部屋に弟子を譲った。このなかに、後の関脇時津山仁一がいた。

その他の弟子
鬼ヶ谷才治(小結、伊予国(現 愛媛))

序ノ口力士集団暴行致死事件
2007年6月26日、同年春に入門した序ノ口力士の時太山俊が稽古中に倒れ、28日に死亡した[1]。

稽古中に倒れ死亡したとされた序ノ口力士時太山に付いた通常あり得ない傷や、「死亡した力士にはマリファナの使用歴があった」等死亡した力士に責任転嫁する時津風親方の発言などから、死亡した力士の両親が死因を不審に思い、愛知県警察(巡業先管轄)に行政解剖を求め、警察が実施したことから発覚。

時太山がけいこの厳しさに脱走をしたことに憤慨し、6月25日に時津風親方がビール瓶で頭を殴りさらに数人の力士に「かわいがってやれ」と暴行を指示、翌26日も通常は5分程度のぶつかり稽古を30分に渡り強い、倒れた後も蹴りを入れたり金属バットで殴打するなど集団暴行した。警察の任意取調べに対し時津風親方や数人の兄弟子力士が容疑を認めたため[2]、愛知県警は死因特定の遺体の組織検査や、体のところどころにある根性焼きと思われるヤケドの跡など、暴行と死亡との因果関係の結果を待ち、傷害および傷害致死容疑で立件する方針を固めた。[3]また遺族に無断で遺体を火葬しようとしたことも発覚しており暴行の事実を隠蔽しようとした疑いがもたれている。[4]。

なお、この暴行の際十両以上の力士は不在だったとされている[5]。

双津竜 順一(ふたつりゅう じゅんいち、1950年2月28日-)は北海道室蘭市出身の元大相撲力士。本名は山本順一。時津風部屋所属。身長185cm、体重172kg。最高位は東小結(1979年7月場所)。



[編集] 来歴
中学在学中に時津風部屋に入門。1963年9月場所に初土俵を踏んだ。1969年11月場所には弱冠19歳で十両に昇進した。将来を期待されながら、立合いがやや遅ったこともあり2年以上十両から脱却することが出来なかった。1972年3月場所にようやく新入幕を果たす。全盛期には180キロもあり当時の世代としては異例の巨漢であった。体力を生かした豪快な相撲で、右四つになると特に力を発揮した。故障が多く幕内と十両を往復することが多々あったが、1979年7月場所には最高位の小結まで番付を上げた。しかし1980年3月場所を最後に幕内から遠ざかると、1982年1月場所には幕下に陥落。幕下でも相撲を取り続けたが、十両に返り咲くことなく同年11月場所を最後に現役を引退。

引退後は年寄・錦島を襲名し、時津風部屋の部屋付きの親方として後進の指導に当たった。2002年に定年を迎えた先代の時津風親方(元大関・豊山)の後継者に指名され、時津風部屋を継承した。

2007年4月に愛弟子の新小結豊ノ島が横綱朝青龍との稽古中に怪我を負った際、出稽古拒否も辞さない構えで、朝青龍に対し「悪意に満ちた稽古だ」など激しく批判したが高砂親方から詫びの電話があり騒動は終結した。

2007年名古屋場所直前に序ノ口力士時太山が稽古中に倒れ急死した。その際に「死亡した力士にはマリファナの使用歴があった」等の発言をしたため物議をかもした[1]。名古屋場所は審判委員を辞退している。そして9月になり、暴行容疑の疑いで愛知県警に事情聴取され、ビール瓶で頭を殴るなどといった暴行の事実を大筋で認めた。また、暴行の事実を遺族に隠すために遺族に承諾して火葬しようとしたり、倒れた直後も救急車を呼ばずに放置した揚げ句に弟子たちに口止めしていたことも発覚している。また、過去にも類似した死亡事故が起きていたことも分かっており、また在籍していた元弟子に対して現金返還を強要していたことも判明し、不祥事が相次いで発覚した。 しかし2007年10月4日には一転して暴行の事実を否定した。 2007年10月5日に日本相撲協会から1997年1月の山響親方(元小結前乃臻)以来2例目となる、処分としては最も厳しい解雇処分が下り、相撲界より永久追放された。

亀田三兄弟(かめださんきょうだい)は父・亀田史郎がトレーナーを務めているボクシング兄弟である。尚、この「亀田三兄弟」は商標登録されている。


人物
長男 - 亀田興毅(かめだ こうき、1986年11月17日 - )
通称「浪速乃闘拳(なにわのとうけん)」。2006年12月21日現在、対戦成績は13戦13勝10KO。対戦相手にメンチを切る、罵声を浴びせる、悪態をつくなどのヒール的なパフォーマンス行為で有名。2006年8月2日、世界チャンピオンになったが、公然と「八百長試合」ばかりであると非難されることが多い。
次男 - 亀田大毅(かめだ だいき、1989年1月6日 - )
通称「浪速乃弁慶(なにわのべんけい)」。絵を描くのが得意。歌唱力は兄弟中で一番上手いと言われ、試合に勝利した後に歌を歌うのが恒例となっている。兄と同じく、ビッグマウスや挑発などのパフォーマンスをよく行う。
三男 - 亀田和毅(かめだ ともき、1991年7月12日 - )
プロボクサー志望のアマチュアボクサー。興毅・大毅曰く「兄弟の中で一番センスあるのは和毅」。2008年の北京五輪を目指していたがアマチュア機構側との衝突により断念。事実上の中学校を不登校児童であったが、2007年3月に卒業した。
なお、「亀田三兄弟」として取り上げられることが多いため、「兄弟は3人」と思われがちだが、その下に妹が1人いる。
亀田史郎(かめだ しろう、1965年5月22日 - )は、協栄ジム所属のボクシングトレーナー。亀田三兄弟の父親にして、三人のボクシングの指導者。三兄弟がボクサーとしてデビューし、報道における露出が多くなるにつれて、トレーナーでもある父親の史郎も注目を浴びるようになった。その独特の教育法、指導スタイルや暴言など言動を巡って、評価が分かれ物議を醸している。


略歴
兵庫県姫路市生まれ、大阪府大阪市西成区育ち。

プロボクサーを目指し、進光ジム(現新日本大阪ジム)に通い、中学卒業後に正式に入門する。だが、同時に中学卒業後に就いた解体業の孫請けとの両立が不可能として、一度もプロテストを受けることなく断念する。20歳の時、1歳年上の女性と結婚する(のちに子どもたちの教育方針をめぐり離婚)。その後生まれた息子達に自分の夢を託すという形で、息子達に幼いころからボクシング、空手などの格闘技の道を歩ませた。その話題性のためプロデビュー以前から、一部のマスコミ(特にTBS、デイリースポーツ)が父親と三兄弟に密着していた。

元大関琴風(尾車親方)のファンであり、長男の興毅の名は彼の本名にちなんでいる。


指導方法とボクシングスタイル
「三兄弟全員を世界チャンピオンにさせたる!」と公言してはばからず、以下のような独特のボクシング指導を行っていると伝えられる。

「世界のジャブ」 - 一対一で行う。史郎がモリやホウキの先端にグローブをつけたもので高速のジャブを繰り出し、息子たちがそれを避けるというもの。何度も刺さって流血した。
「砂袋アッパー」 - 両腕に砂袋を装着、その状態でアッパーの練習をするというもの
「畳ミット」 - サンドバッグよりも拳を鍛えられる畳を殴った方がパンチが強くなるとの理論
「丸太スクワット」
「しごき棒」
「ピンポン玉よけ」 - 数メートル離れた場所から史郎がピンポン玉を投げ、それを興毅らが避ける。動体視力の特訓になるらしい。実際の試合で亀田は相手の攻撃を避ける動作もしないためこの練習に意味があるかは疑問が残る
これらは

「マンガなどを参考にした思いつきの指導方法ではないか」
「基本を理解していない」
「相手を倒すための練習じゃなく、サンドバッグを殴るための練習だ」
「スポーツ科学の知識はあるのか」
「精神論だけだ」
などの批判を受けている。

だが、批判もある一方で、「今までのボクシング界には無い斬新な練習方法だ」と史郎の練習方針に賛同する意見もあり、長男興毅を、経過はどうであれ世界チャンピオンにまで育て上げた実績を買うものもいる。 その指導法を支持する日本ウェルター級のランカー渡部信宣は、リングネームを「牛若丸あきべぇ」に変えて、弟子入りした。

ボクシングスタイルとしては、ガードを固め、常に前進し続ける亀田流ボクシングを生み出した。頭部のみ防御し、ボディの防御は一切捨てると言う普通では採用しにくいスタイルであり、ボディに自信を持つ三兄弟独特のスタイルとも言える。

この亀田流ファイトスタイルに関しては「ジャブを打たなすぎる」「後ろに下がらなさすぎる」等として、スタイルそのものを疑問視する声が多い。一方で、ジャブを撃たない分、相手が見せた隙を逃さず両腕どちらからでも強打で合わせられる点から、ボディや目に自信を持つ選手ならばこのスタイルを採用してもおかしくは無い。ほぼ全てのスタイルが出尽くしたと思われていた近代ボクシングの中に突如生まれたまったく新しいスタイルであると言える(しかし、他と違い全てのボクサーが扱えるスタイルでは無い為、一つのスタイルと評価するに十分かは見解が分かれる)。常に前進し引かない為、相手のジャブをまともに被弾している印象を受けるが、頭部のディフェンスはしっかりとしている為、印象と違いクリーンヒットは少ない。


亀田興毅世界王者決定後の論争
長男興毅が2006年8月2日、WBAライトフライ級世界タイトル戦に判定勝利した後、疑惑の判定との声が多く寄せられたため、その位置づけをめぐり論争となったが、父でありトレーナーでもある史郎自身もテレビ出演するなどして当事者として論争に参加した。

また、興毅が世界戦の前に「ベルトはおやじに渡したい」と発言していたことを受けて、WBAは、亀田史郎に対する特製チャンピオンベルトを事前に用意。「勝利」確定後、史郎に授与した。漫画家のやくみつるが「安いドラマだ」と怒りをぶちまけたように、公正であるべきはずの主催者にあるまじきこの行為にはボクシングファンに限らず、広く疑問の声が上がった。

2006年8月7日のテレビ朝日『スーパーモーニング』に生出演した際、やくが史郎に仕付け糸を渡し「これで亀(ここでは息子の興毅とされている)を縛っとき」との発言を行った。仕付け糸の「仕付け」と「躾け」をかけたと思われるが、それを聞いた史郎は激昂し「あとで表出て話し合おうか、このままで済むと思うなよ」と怒声を浴びせた。なお、この出演時には「今回はジャッジに情を貰った」と述べた後「情を貰ったら引退する」との矛盾した発言もあった。

放送当時のもう一人のコメンテーターであるガッツ石松は、試合前日の計量時にファン・ランダエタが亀田興毅におむつとおしゃぶりを渡した際に大声でランダエタを威嚇したことに苦言を呈した。一般に、ボクシングのタイトルマッチの調印式(フェイス・オフ)は、話題作りのためのショーアップ(挑発合戦や選手間の乱闘寸前の行為など)の度がすぎるという批判も多い。しかし営業面の観点からボクシングメディアや興行側はこれを望んでいるフシがあり、一方では、もてはやし、他方では眉をひそめるというマッチポンプ状態がいつまでも続いている。これはWBAやWBCといった統括団体が調印式における選手の態度に関する行動指針を示さないからであるとも言われている。現状においては罰則規定がない以上、史郎や興毅の行為は許容範囲内、という意見もある。マイク・タイソンは調印式において相手に殴りかかったこともあるが、何の懲罰も受けていない。

また、過去にWBCフライ級王者ポンサックレック・グラティンデーンジムから対戦を申し込まれたときに威嚇するだけして結局、対戦をはたさなかった。他に日本王者の内藤大助に対し、6回戦レベルとコメントし、その後、内藤から対戦要求を受けたがこれを回避している。亀田興毅が温室育ちと称されるのは、対戦相手の選択において、こうした「強い奴とは闘わないこと」というポリシーを実践しているからだ、といった手厳しい意見もある(他の階級王者に対しても威嚇的な言説を行うことがあるが、実際に対戦を申し込まれても相手にしないといった選択を行っている)。これを擁護する意見としては、それほど実績を残していないボクサーおよびその取り巻きの発言にいちいち目くじらを立てるのはおかしいという意見、プロモーターのマッチメイクの都合で仕方ないのではないかなどの意見もある。

また、9月27日に行われた次男大毅のプロ第6戦において、判定について、一部の観客から批判の言葉があったことに対して、周囲の亀田ファンが猛反発、恫喝を交えて反論した。たちまちその周囲で小競り合いになったが、その場に亀田側の公式なトレーナーである史郎本人が激怒して暴走し、叫びながらリングを飛び降りて批判をしたファンを直接殴りつけようとした。[2]周囲の関係者が必死に押さえつけたため、暴行は未遂で終わった。通常であれば、周囲を止めに入らなければいけない(事実、彼以外の関係者は、騒ぎを止めようとし、暴れる史郎を抑えもしていた)公式な関係者でありながら、中継も入っている公式戦の場で、批判に逆上し、怒声を上げた上で観客に殴りかかろうとしたということは、日本のボクシング史上、皆無と言っていいほどの行動であり、ボクシングファンのみならず、一般からも大きく顰蹙を買った。 仮に、実際に暴行が未遂では終わらなかった場合、史郎本人に対して、脅迫、暴行、傷害などの刑事罰が下るだけでなく、言うまでもなく史郎のボクシング業界からの永久追放や、息子らまでもがボクシング業界から追放処分を受けていたであろうから、

「行動があまりに幼稚」
「本当に子供のことを考えているのか」
「それでも大人か」
「人間性のかけらもない」
「ボクシング業界からさっさと身を引くべき」
「ライセンスを剥奪しろ」
といった批判も寄せられている。史郎は、以前やくみつるとの討論で視聴者から多大なる顰蹙を買ったということも有るだけに、これからの動向、及び処分に注目が集まる。

また、あまりに騒ぎが大きくなったため、会場となった後楽園ホールの所轄である警視庁富坂警察署が関係者に事情聴取を行うという異例の事態にまで発展した。ここでは、史郎は「観客同士で喧嘩が起きたので仲裁に入っただけ」と主張しているが、現場にいた者たちからは、「観客に罵声を浴びせていた」「止めに入る動きではなかった」という複数の発言があり、また、すさまじい表情で飛び降りていく画像が複数のこっており、新聞などにも掲載されているため、その発言を疑問視する声も多い。 また、仮に本当に仲裁に入っていたのであれば、証拠として関係者からその現場の画像や動画が出されるはずであるが、中継元もジム側も、この発言の証拠となる物は一切出していない。

この騒動に対しては、日本ボクシングコミッション(JBC)が13日、「乱闘の当事者とみなすことはできないが、加担したと誤解される行為があったのは事実。セコンドライセンスを持つ人間として適切な行動をとってもらいたい」という理由で、史郎を12日付の文書で厳重注意処分(もっとも軽い処分)としたと発表した。


レフェリーに対する暴言騒動
2007年3月24日亀田興毅対エベラルド・モラレス戦においてレフェリーを務めた浦谷信彰[1]に対して暴言を吐き、試合役員会はこれに激怒。史郎に「恫喝や脅迫とも受け取れる。史郎氏の謝罪がなければ、史郎氏がかかわる試合への役員派遣を拒否する」など、ライセンス停止を含む厳正な処分を処分を求める要望書をJBCに提出した。

この問題は5R終了間際に興毅が奪ったダウンで浦谷が試合を止めなかったことや、興毅がバッティングを注意されたことに史郎氏が抗議したことによる。史郎は「何で5Rのダウンで止めんねや。(バッティングを注意され)亀田だけのルールを作んな!」と強い口調でレフェリーにと詰めより、関係者に制止されると「今度はきちんとボクシングが分かる人間にやってもらわな」などの暴言を吐いたとされる。

協栄ジム金平桂一郎会長は「本人のサインを添えた謝罪文をJBCに提出する」と表明、同年4月16日に史郎は謝罪文をJBC役員会に提出。JBCは史郎と金平会長に対し「言動注意」を文書で通達。さらに「今度問題を起こした場合、今後史郎氏が関わる試合全てに役員を一切派遣しない」事を通告した。[2]

ただしこれだけの騒ぎを起こしながら史郎本人への処分は一切無く、口頭での厳重注意のみに留まっている。このことから

「処分が軽すぎるのではないか」
「何故ライセンスを剥奪しないのか」
「JBCの対応は甘すぎる」
といった批判も出ている。

尚、史郎は当初「役員会? 知らん、何も知らん。関係ないやろっ!」と沈黙を通していた。


内藤大助対亀田大毅戦にて
この節には、現在進行中のことを扱っている文章が含まれています。性急な編集をせず事実を確認の上投稿してください。
2007/10/11に行われた内藤大助対亀田大毅のWBC世界フライ級タイトル戦では、リング上で相手に罵声を浴びせて威嚇するなどの場面があったほか、試合後半から終盤にかけて、大毅に対して、

「投げろ、投げろ!」
「勝てへんで、わかっとるな」
「金玉殴ったれ!」
と明確に反則とわかる指示を出し、兄の興毅も

「ヒジでエエから目に入れろ」
と声をかけていることが、TBSの全国生中継で報道された[3]。 なお、それを確認した視聴者などからTBSに、12日午前9時までの約半日の間に電話857件、電子メール628通もの抗議が届いた。 JBCにも非常に多数の抗議・問い合わせが集中し、12日、倫理委員会を15日に開き処分を検討することを決めた。安河内剛事務局長は、反則を指示した史郎トレーナー並びに、大毅選手、興毅らに対して、ライセンス停止など重い処分となる可能性も示唆した。


逸話
短気な性格であり、中学時代は喧嘩番長で、「西成区にある中学の三年生番長全員をぶちのめした」と吹聴している(もちろん社会的に許される行為ではない)。地元西成区では、彼自身も2人の兄と共に「亀田三兄弟」としてある意味「有名」だったという。
妻(三兄弟の母親)とは2003年に離婚した。その際、幼い長女を含む4人の子供は全員史郎が引き取った。
「勝つしかない」→「かつしかない」→「葛飾内」ということで、現在は東京都葛飾区在住。
自身の離婚、息子のボクシングのスランプといったことが重なった時期、「ボクシングをやめたい」という息子に、「お前がボクシングをやめたら、亀田家は食べて行けん!」と発言。当時働いていた解体現場で兄弟に銅線を拾わせて生活費にした(自伝より)。
最初はボクシングは、いじめられっ子だった興毅に史郎が強制。あまりの過酷な練習に「ボクシングはやめたい」と言うと、暴行を加えた上で「どっか行ってひとりで住め! 自分で働いて飯食え!出て行け!」と家の外に放り出し、食事も与えないという児童虐待を行っていた事実を明かしている。
教育については独自の考えがあるようだが、中学生である三男の和毅を学校に登校させていない。これは、日本国憲法で規定された教育を受けさせる義務(義務教育)を完全に怠っている。現に、プロである興毅、大毅の合宿に平日で普通なら学校に行っているはずの和毅までも堂々と合宿に参加している。言うまでもなく、これは、親である史郎の責任である(就学義務は保護者などの義務であり、当事者の義務ではない)。ただし和毅本人が自由意志で不登校を選択するのであれば、本人・保護者ともなんら罰則は与えられない。逆に、本人が学校に行きたいのに、家事を強制するなどして保護者が通学をしないようにした場合は、就学義務違反となる。
既述の独特の練習を行うために、時折海や山で合宿を行うことがある。夏季や冬季といった、中学校の長期休暇期間ではない場合もある。これには報道関係者が取材で同行するが、カメラマンが気遣って和毅のみを構図から外そうとしても、史郎は無頓着に三兄弟を並ばせることが多い。練習内容を報道しても、和毅が学校に行かずに合宿に同行している件には全く触れないという不自然な事態が続いている。和毅の不登校を取り上げるのは週刊文春や週刊新潮などのみである。
魚を取るためのモリに布を巻きつけ、ストレートに見立ててそれをかわさせるという奇想天外な鍛錬方法を編み出した。これも何度も刺さって流血したといい、殺人未遂であると非難を浴びた。
ロックバンド「T-BOLAN」のファンで、森友嵐士を息子の試合や合宿に招待。合宿で食事を共にし、2006年8月2日に行われた亀田興毅のWBAライトフライ級タイトルマッチでの君が代独唱を依頼した。
2006年8月25日、フライデーにて暴力団関係者と会食している姿が撮られる。
愛車はクライスラー300Cである。
シッド・エイベル (Sid Abel) (カナダ)

[編集] B
アンディ・バスゲイト (Andy Bathgate) (カナダ)
ジャン・ベリヴォー (Jean Béliveau) (カナダ)
レイモンド・ボーク (Raymond Bourque) (カナダ)
ジョニー・バウワー (Johnny Bower) (カナダ)
クリス・ブライト (Chris Bright) (カナダ→日本)
パベル・ブレ (Pavel Bure) (ロシア)

[編集] C
ディット・クラッパー (Dit Clapper) (カナダ)
ボビー・クラーク (Bobby Clarke) (カナダ)
ポール・コフィー (Paul Coffey) (カナダ)

[編集] D
マーセル・ディオン (Marcel Dionne) (カナダ)
ケン・ドライデン (Ken Dryden) (カナダ)

[編集] E
フィル・エスポジト (Phil Esposito) (カナダ)

[編集] F
バーニー・フェデルコ (Bernie Federko) (カナダ)
福藤豊 (ふくふじ ゆたか) (日本)
藤田キヨシ (ふじた きよし) (日本)

[編集] G
バーニー・ジョフリオン (Bernie Geoffrion) (カナダ)
ウェイン・グレツキー (Wayne Gretzky) (カナダ)

[編集] H
ドミニク・ハシェック (Dominik Hašek) (チェコスロバキア)
引木孝夫 (ひきぎ たかお) (日本)
ティム・ホートン (Tim Horton) (カナダ)
ゴーディ・ハウ (Gordie Howe) (カナダ)
ボビー・ハル (Bobby Hull) (カナダ)
ブレット・ハル (Brett Hull) (カナダ)

[編集] I
岩本裕司(いわもと ゆうじ) (日本)

[編集] J

[編集] K
ポール・カリヤ (Paul Kariya) (カナダ)
レッド・ケリー (Red Kelly) (カナダ)
近藤陽子 (こうどう ようこ) (日本)
ヤリ・クリ (Jari Kurri) (フィンランド)

[編集] L
ギイ・ラフレール (Guy Lafleur) (カナダ)
マリオ・ルミュー (Mario Lemieux) (カナダ)
ニクラス・リドストローム (Nicklas Lidström) (スウェーデン)
テッド・リンジー (Ted Lindsay) (カナダ)

[編集] M
マーク・メシエ (Mark Messier) (カナダ)
スタン・ミキタ (Stan Mikita) (カナダ)
三浦浩幸 (みうら ひろゆき) (日本)

[編集] N
二瓶次郎 (にへい じろう) (日本)
二瓶太郎 (にへい たろう) (日本)
ヴィレ・ニエミネン (Ville Nieminen) (フィンランド)

[編集] O
アダム・オーツ (Adam Oates) (カナダ)
大城ジョエル・ディック (Oshiro Joel Dyck) (日本)
ボビー・オア (Bobby Orr) (カナダ)

[編集] P

[編集] Q

[編集] R
アンリ・リシャール (Henri Richard) (カナダ)
モーリス・リシャール (Maurice Richard) (カナダ)
アート・ロス (Art Ross) (カナダ)
パトリック・ロワ (Patrick Roy) (カナダ)

[編集] S
坂田淳二 (さかた じゅんじ) (日本)
桜井邦彦 (さくらい くにひこ) (日本)
杉沢明人 (すぎさわ あきひと) (日本)
ジョー・サキック (カナダ)
テリー・ソーチャック (Terry Sawchuk) (カナダ)
エディ・ショア (Eddie Shore) (カナダ)
ダリル・シトラー (Darryl Sittler) (カナダ)

[編集] T
ブライアン・トロティエ (Bryan Trottier) (カナダ)

[編集] U

[編集] V

[編集] W
若林修 (わかばやし おさむ)(日本)

[編集] X

[編集] Y
山中武司 (やまなか たけし) (日本)
ユール・クリス (Chiristopher Yule) (日本)
スティーブ・アイザーマン (Steve Yzerman) (カナダ)
ブーマー・アサイアソン (Boomer Esiason)
ジーン・アップショー(Gene Upshaw)
マイケル・アービン(Michael Irvin)
ブライアン・アーラッカー(Brian Urlacher)
有馬隼人(ありま はやと)
ラバー・アーリントン(LaVar Arrington)
ショーン・アレクサンダー(Shaun Alexander)
マーカス・アレン(Marcus Allen)
ラリー・アレン(Larry Allen)
オーティス・アンダーソン(Otis Anderson)
石田力哉(いしだ りきや)
リッキー・ウィリアムズ(Ricky Williams)
ケレン・ウィンズロウ(Kellen Winslow)
マイク・ウェブスター(Mike Webster)
ハーシェル・ウォーカー(Herschel Walker)
ハインズ・ウォード(Hines Ward)
ロッド・ウッドソン (Rod Woodson)
トロイ・エイクマン(Troy Aikman)
エリック・ディッカーソン(Eric Dickerson)
ジョン・エルウェイ(John Elway)
テレル・オーウェンス(Terrell Owens)
クリスチャン・オコイエ (Christian Okoye)

[編集] か行
クリス・カーター(Cris Carter)
ジェフ・ガルシア(Jeff Garcia)
ダンテ・カルペッパー(Daunte Culpepper)
河口正史(かわぐち まさふみ)
ジョン・キトナ(Jon Kitna)
木下典明(きのした のりあき)
ジョー・ギブス(Joe Gibbs)
リッチ・ギャノン(Rich Gannon)
アール・キャンベル(Earl Campbell)
オットー・グラハム(Otto Graham)
トム・グランヴィル (Tom Granville)
ボブ・グリーシー(Bob Griese)
アーマン・グリーン(Ahman Green)
ジョー・グリーン(Joe Greene)
トレント・グリーン(Trent Green)
ジョン・グルーデン(Jon Gruden)
レッド・グレーンジ(Red Grange)
テリー・グレン(Terry Glenn)
ジム・ケリー(Jim Kelly)
トニー・ゴンザレス(Tony Gonzalez)
近藤祐司(こんどう ゆうじ)

[編集] さ行
里見恒平(さとみ こうへい)
ディオン・サンダース(Deion Sanders)
バリー・サンダース(Barry Sanders)
アート・シェル (Art Shell)
芝川龍平(しばかわ りゅうへい)
フィル・シムズ (Phil Simms)
ボー・ジャクソン(Bo Jackson)
マイク・シャナハン(Mike Shanahan)
シャノン・シャープ(Shannon Sharpe)
スターリング・シャープ (Sterling Sharpe)
ドン・シュラ(Don Shula)
ジミー・ジョンソン(Jimmy Johnson)
マイク・シングレタリー (Mike Singletary)
O・J・シンプソン(O.J. Simpson)
鈴木隆之(すずき たかゆき)
バート・スター(Bart Starr)
パット・スウィリング (Pat Swilling)
クリス・スピールマン (Chris Spielman)
ロジャー・ストーバック(Roger Staubach)
マイケル・ストレイハン(Michael Strahan)
アレックス・スミス(Alex Smith)
エミット・スミス(Emmitt Smith)
ティミー・スミス(Timmy Smith)
ブルース・スミス (Bruth Smith)
リン・スワン(Lynn Swann)
ゲイル・セイヤーズ(Gale Sayers)
ジュニア・セアウ (Junior Seau)
ジム・ソープ(Jim Thorpe)
ラリー・ゾンカ(Larry Czonka)

[編集] た行
ロン・ダイン(Ron Dayne)
高田鉄男(たかた てつお)
高橋公一(たかはし こういち)
高橋幸史(たかはしこうじ)
フラン・ターケントン(Fran Tarkenton)
スティーブ・タスカー (Steve Tasker)
エリック・ディッカーソン(Eric Dickerson)
マイク・ディトカ(Mike Ditka)
ジョン・テイラー(John Taylor)
ローレンス・テイラー(Lawrence Taylor)
トレント・ディルファー(Trent Dilfer)
パット・ティルマン(Pat Tillman)
ビニー・テスタバルディ(Vinny Testaverde)
アル・デービス (Al Davis)
テレル・デービス(Terrell Davis)
リチャード・デント (Richard Dent)
東海辰弥(とうかい たつや)
東野稔(とうの みのる)
トニー・ドーセット(Tony Dorsett)
サーマン・トーマス(Thurman Lee Thomas)
ザック・トーマス(Zach Thomas)
デリック・トーマス (Derrick Thomas)
ラダニアン・トムリンソン(LaDainian Tomlinson)
クリス・ドールマン (Chris Doleman)

[編集] な行
ブロンコ・ナグルスキー(Bronko Nagurski)
ハロティー・ナータ(Haloti Ngata)
ジョー・ネイマス(Joe Namath)
埜下雅基(のした まさき)
ケン・ノートン・ジュニア (Ken Norton Jr.)
中村多聞(なかむら たもん)

[編集] は行
ディック・バトカス(Dick Butkus)
ティキ・バーバー(Tiki Barber)
フランコ・ハリス(Franco Harris)
アダム・ビナティエリ(Adam Vinatieri)
フレッド・ビレトニコフ (Fred Biletnikoff)
ダン・ファウツ(Dan Fouts)
ドブリカショー・ファーガソン(D'Brickashaw Ferguson)
ブレット・ファーヴ(Brett Favre)
マーシャル・フォーク(Marshall Faulk)
ジム・ブラウン(Jim Brown)
ティム・ブラウン(Tim Brown)
ボブ・ ブラウン(Bob Brown)
テリー・ブラッドショー(Terry Bradshaw)
ジム・プランケット (Jim Plunkett)
ディオン・ブランチ(Deion Branch)
デリック・ブルックス(Derrick Brooks)
ダグ・フルーティー(Doug Flutie)
トム・ブレイディ(Tom Brady)
ドルー・ブレッドソー(Drew Bledsoe)
ボブ・ヘイズ(Bob Hayes)
ウォルター・ペイトン(Walter Payton)
チャンプ・ベイリー(Champ Bailey)
平郡雷太(へぐり らいた)
ジェローム・ベティス(Jerome Bettis)
ウィリアム・ペリー (William Perry)(冷蔵庫)
トーマス・ヘリオン(Thomas Herrion)
ジェフ・ホステトラー (Jef Hostetler)
プリースト・ホームズ(Priest Holmes)
堀古英司(ほりこ ひでじ)
マイク・ホルムグレン(Mike Holmgren)
レジー・ホワイト(Reggie White)

[編集] ま行
黛拓郎(まゆずみ たくろう)
水口貴雄(みずぐち たかお)
前島純(まえしま じゅん)
ティム・マクドナルド(Tim McDonald)
ドノバン・マクナブ(Donovan McNabb)
スティーブ・マクネア(Steve McNair)
ジム・マクマーン (Jim MacMahon)
松岡秀樹(まつおか ひでき)
イーライ・マニング(Eli Manning)
ペイトン・マニング(Peyton Manning)
ダン・マリーノ(Dan Marino)
ウォーレン・ムーン(Warren Moon)
アート・モンク (Art Monk)
ジョー・モンタナ(Joe Montana)

[編集] や行
山田晋三(やまだ しんぞう)
スティーブ・ヤング(Steve Young)
ヴィンス・ヤング(Vince Young)
ジョニー・ユナイタス(Johnny Unitas)

[編集] ら行
ジェリー・ライス(Jerry Rice)
スティーブ・ラージェント(Steve Largent)
トム・ランドリー(Tom Landry)
ジョン・リギンズ (John Riggins)
アンドレ・リード(Andre Reed)
エド・リード(Ed Reed)
マーブ・リービー(Marv Levy)
マーク・リッピン (Mark Rypien)
ダン・リーブス(Dan Reeves)
ライアン・リーフ(Ryan Leaf)
レイ・ルイス(Ray Lewis)
タイ・ロー(Ty Law)
ベン・ロスリスバーガー(Ben Roethlisberger)
ロニー・ロット(Ronnie Lott)
ハウイ・ロング(Howie Long)
ビンス・ロンバルディ(Vince Lombardi)

[編集] わ行
ハインズ・ワォード(Hines Ward)
カート・ワーナー(Kurt Warner)

サブプライムローン(米:subprime lending)は、主にアメリカ合衆国において貸し付けられたローンのうち、優良顧客(プライム層)向けでないものをいう。狭義には、住宅を担保とする住宅ローンに限定されるが、広義には、自動車担保など住宅以外を担保とするものを含む。一般的に他のローンと比べて信頼度が低いとされている。

2007年あたりから、その貸付の返済不能などが問題となっているのは、主に住宅ローン(狭義のサブプライムローン)に関するものである。



[編集] 概要
住宅ローンの実施にあたっては、債務者の信用力の調査が行われる。ここで十分な信用力を債務者が有していれば、その信用に基づく貸付として、古典的な住宅ローンとして扱われる。ここで所定の古典的な基準を満たさない債務者に対する貸付を行う場合を総称してサブプライムローンと呼ぶ。債務者の所得水準が低い場合が典型的であるが、信用力を超えた借入を行って不動産投資を行う場合などにも、同様にサブプライムローンが利用されてきた。

一般的な特徴としては、貸付利率が通常の住宅ローンに比べて高くなり、貸付者が取る信用リスクも高くなる。このため、債務者が弁済を容易とするための特別なアレンジや、貸付を行う側としては、貸付リスクの分散が通常の住宅ローンよりも重視されることとなる。

サブプライムモーゲージ(subprime mortgage)ともいい、通常は住宅ローン担保証券(RMBSもしくはMBS)の形で証券化され、さらにそれらが債務担保証券(CDO)の形に再証券化されて、投資家に販売される。RMBSやCDOは格付け機関により格付けされており、市場で取引される。

サブプライムローンの貸付残高は近年拡大したが、債務者の信用水準が一定基準を満たさない者に集中しているという本質的な特質から、サブプライムローンの返済の遅延・不能、および波及的効果としての信用の収縮など、以下のような問題点が表面化している。


[編集] 問題点

[編集] 背景
サブプライムローンに限らず、アメリカにおいて、住宅ローンの返済方法として、当初数年間の金利を抑えたり、当初数年間は金利のみの支払いを行ったりと、当初の返済負担を軽減したものが普及し、そのため債務者が自分の返済能力を無視した借入を行うことが可能となり、そのような貸付が増加していた。

本質的には債務不履行のリスクは通常の住宅ローンよりも高い構造を有しているものであるが、住宅の価格が上昇している場面においては、返済の破綻はこれまでは必ずしも表面化しなかった。債務者の所得が上昇せず、生活費が上昇して本来であれば返済に行き詰まる状況であっても、住宅価格が上がっている場合には、債務者は住宅価格の値上がり分について、担保余力が拡大することから、その部分を担保に、新たな追加借入を受けることができた(ホームエクイティローン)。これにより破綻を先延ばしするだけでなく、消費を拡大することもできた。

また、住宅価格が大きく上昇すれば、当該住宅を転売してローンを返済し、さらに売買差益も得ることも可能であった。当初負担の軽い返済方式の普及によって所得からすれば本来、住宅ローンを組めない人にまでローンを組む人が増えて、住宅ブームが拡大する間は破綻が表面化せず、むしろ住宅ブームを加速した。


[編集] 過熱
こうした当初の支払額を軽減した返済方式は、当初期間経過後、支払額が急増するというリスクがある。住宅価格の上昇を前提にしない場合でも、この返済方式によるローンは、所得の確実な増加が見込める家庭には合理的だと言えるが、所得が伸びない低所得階層には全く不向きである。ところが住宅ブームの中で、こうした低所得階層や米国へ移民して間もない外国人にまで半ば強引な貸付が行われ、サブプライムローンが拡大していった。サブプライムローンの行き過ぎは1990年代後半頃から問題になっていた。

このような行き過ぎの中で、低所得階層に過重な手数料を求めたり、あるいは返済できないために低所得階層が物件を差し押さえられ住宅を失ったりといった問題が生み出された。この問題は略奪的貸付(predatory lending)として知られる。かつてアメリカでは、貧しい黒人居住地域を金融機関が融資上差別したことが、レッドライニングと呼ばれる社会問題を生み出したが、住宅ブームの中で、むしろ貸し過ぎが問題にされるようになった。なお、この略奪的貸付については、低所得階層が貸し込み先になっているという意味で、日本における消費者金融の多重債務問題や、バブル経済下での目先の収益獲得に追われた金融機関による、中小・零細企業への貸し剥がしと性格が似ているという指摘がある。

もともとアメリカの住宅ローンでは、融資する側では金融機関による融資とローン債権の流動化がローンの拡大を支えていたが、流動化がこのような信用力の劣るサブプライムローンにまで及んできたことは、サブプライムローンの拡大を下支えした。


[編集] 延滞の増加・信用の収縮
しかし、住宅価格上昇率が2006年に入って以降急速に鈍化すると、予測されたことだが、サブプライムローンの延滞率が目だって上昇を始めた。2006年末に住宅ローン全体の約13%を占めるサブプライムローンにおいて利払いが3か月以上滞る延滞率が13%を超えた。担保住宅処分後により8割は回収できるとされるが、その想定が甘いとの指摘もある(日本経済新聞2007年3月19日による)。

債務者の延滞が顕著となってくると、次には、サブプライムローンの貸し手である融資専門会社に対する融資に金融機関が慎重になり、専門会社の中には資金繰りが悪化して経営破綻する例が出始めた。大手金融機関では貸倒引当金を増やしているが、その利益を圧迫する結果になっている。

2007年3月13日に大手のニュー・センチュリー・ファイナンシャルが、経営破綻が懸念されるとしてNYSEでの取引が停止され、上場廃止が決まった。3月20日までに連邦倒産法第11章に基づく資産保全を申請した会社は4社、業務停止は20社以上となった。その後、ニュー・センチュリーは4月2日に連邦倒産法第11章の適用を申請した。

サブプライムローンは、性質上は一般に貸付債権として、他の金融商品の構成要素として含まれている。そもそも金融商品は本質的に高い利回りを求められるものであり、サブプライムローンが、高い利率による貸付債権であり、少なくとも想定上は高い利回りが期待できるものであることが、その背景にあった。

これらの金融商品については、必ずしも構成要素にサブプライムローンが含まれていることを明示していなかったり、あるいは、そのリスクについて、大数の法則・担保の提供により軽減されているとされていたりするものであるが、実際にサブプライムローンの延滞率が上昇してくると、必ずしも当初の目論見どおりにリスクがヘッジされているわけではなく、金融商品自体が想定された利回りを下回ったり、元本自体の返済が不能となったりする例が浮上してきている。

こうして、サブプライムローンの信用リスクの顕在化は、サブプライムの債権を対象として組み込んだ金融商品の信用リスクに波及することとなる。

2007年6月22日には、米大手証券ベアスターンズ傘下のヘッジファンドが、サブプライムに関連した運用に失敗したことが明らかになり、問題は金融市場全体に拡大した。ファンドの中には、資金繰りが悪化して資金の引出を停止したり、解散を決めたりするものが相次いだ。ファンドは大手金融機関から多額の融資を受けており、問題の拡大が懸念された。ヘッジファンドは、高い利回りを求めて、住宅ローン担保証券の中でもリスクの高いエクイティ債やエクイティ債を組み込んだ債務担保証券に好んで投資してきた。

7月10日には米格付け機関のムーディーズが、サブプライムを組み込んだ住宅ローン担保証券RMBSの大量格下げを発表した。この結果、投資家がリスクマネーの供給に慎重になるなど、心理的影響の波及も懸念されている。さらに、この格下げのタイミングが後手に回ったとして、格付け機関自体の信用度を疑問視する意見も出ている。

また、サブプライムローンに関する問題は、いわゆる優良な顧客としての、通常の債務者を対象とする住宅ローンなどの貸付に関する貸付の縮小の動きにも繋がっていることから、限定された債務者に対する貸付の問題のみならず、より広く融資・信用供与のシステム全体における動揺をもたらすものであるとの懸念が起こっている。


[編集] 金融政策的対応
サブプライムローンに関する信用への問題が顕在化するにつれて、それを要因に含んだものとされる各国の株式市場の株価の下落や、為替におけるドル安の動きなどが見られた。アメリカ合衆国の政府はじめ金融当局は、サブプライムローン問題の直接の金融システムないしは信用システムに対する危機的悪影響を否定しているが、アメリカ連邦準備制度理事会や各国の中央銀行は、市場に対する資金の供給量を増すなど、本問題を契機とする信用問題に対して一定の対策を取りはじめている。

8月、事態を重く見たジョージ・W・ブッシュ大統領はサブプライム問題の被害者への救済に乗りだすことを表明した。


[編集] 資本市場への影響、及び問題の本質
サブプライム問題の背景として論じられることの多い幾つかの要素は、必ずしも直接的な原因ではないものも多い。例えば変動金利型ローンは、銀行等の住宅ローン債権者にとって元来管理が難しかった金利変動リスクを、デュレーション(債権キャッシュフローの平均回収期間)の短期化を通じてより効率的に管理する有効なツールであり、サブプライムビジネス固有の金融商品ではない。また、サブプライムローンというビジネス自体も、(強制的な貸付け等、一部に指摘されている様な倫理的に問題のあるケースを除き)借り手の信用力の高低そのものはローン金利の高低等によって適切に調整・吸収されている限りは問題ない。問題となるのは、あくまで債権者側が従来見積もっていた様な債務不履行確率(及びそれに基づく貸付金利の設定)以上に実際の債務不履行事象が発生する等の場合であり、また、その様なアウトライヤーイベント(想定外の事象)の発生するリスクはサブプライムローンに限らずより信用力の高い貸し手に対するローンビジネス、或いは金融以外の様々な経済取引においても同様に起こり得ることである。

ベアースターンズやBNPパリバ等のヘッジファンドのニュースにしても、本質的には一部の金融機関が一部の金融取引でのアウトライヤーイベントの発生によって想定外の損失を被った、ということでしかない。ただし、2007年7月から同年8月にかけて、サブプライム問題を材料に世界中で株価の急落や信用市場の混乱、果てはFRBによる公定歩合の緊急引き下げといった事態にまで発展した最大の要因は、幾層もの証券化を通じて住宅ローン債権の本来のリスク特性が見えなくなっていた中で、極端なリスク回避行動に市場参加者の多くがパニック的に出たことにあると言える。


[編集] 関連項目
サブプライムローン問題 米国で2007年に起こった金融問題。
米国住宅バブル
貯蓄貸付組合
貯蓄貸付組合危機 1980年代の貯蓄貸付組合を舞台とした金融危機。
バブル経済
金融危機
不良債権
住宅金融専門会社

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ayui | URL | 2009年05月29日(Fri)10:56 [EDIT]


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ayui | URL | 2009年05月29日(Fri)10:56 [EDIT]


 

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